なぜイスラエル・パレスチナが対立するのか分かりやすく簡潔に解説

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

<パレスチナ問題とは>

イスラエルがパレスチナ難民の住んでいる地域に侵略している問題として知られています。詳しくは、イスラエルが区画壁でガザ地区を囲い外界と遮断し、ヨルダン川西岸地区にユダヤ人入植地を増やし続けることでパレスチナ住民との軋轢が生まれ続けている現状が争点となっています。ここ数日の争いはイスラエル国防軍(IDF)とガザ地区を実効支配する国際テロ組織ハマスとのミサイル応酬です。

日本のジャーナリストは弱者側の視点に立ちたがる点、メディアは石油資源によるアラブへの遠慮から、パレスチナ側からの報道が常である点、ユダヤに対する偏見が根強い点に疑問を呈し、双方の視点を踏まえて、イスラエル・パレスチナ問題を紐解いてみることにします。


<なぜイスラエル🇮🇱とパレスチナ🇵🇸がもめているのか>

直接の原因はイギリスの三枚舌外交による領土問題です。時は第一次世界大戦の最中に、長年キリスト教国を苦しめたイスラム教の首長国オスマン帝国という大きなパイを食べようと、イギリスはフランスと中東山分けを約束します。そして、内側からもオスマンを崩壊させるために、アラブ人にはアラブ国家建設を、ユダヤ人にはユダヤ国家建設をそれぞれ約束します。ユダヤに関しては、豊富な支援金も当てにしていました。戦後、中東地域はイギリスとフランスの委任統治領に分けられます。(ムスタファ・ケマルという英雄がトルコ共和国を守りきったことは割愛)

ヨーロッパで長年続く迫害やロシアのポグロム(虐殺)から約束の地への回帰意識が高まっていたユダヤ人は、イギリスとの密約が果たされないことを悟り、パレスチナ地域の土地を少しずつ購入・開拓し、イスラエル建国に向けて動き出しました(シオニズム運動)。それに反応したアラブ人側は、侵略行為とみなし小競り合いが始まります。元々パレスチナ地域にはユダヤ教徒もイスラム教徒も共存していたのですが、この頃からお互い反目し合うようになっていきます。

そして、その亀裂はイスラエル建国を契機に決定的になります。


<イスラエル建国とナクバ>

国連分割案の前にピール分割案という、よりイスラエル地域が狭い案もあったのですが、「パレスチナの地はアラブ人の土地」という意見の元、アラブ人により拒否されます。第二次世界大戦後、ホロコースト後の同情ムードと、米ソという大国の承認が後押しになり、イスラエル建国が国際連合によって可決されます。ピール案同様、アラブ側によって国際連合案も拒否されます。そして、1948年5月14日、イスラエルが建国されます。

その日の夜に、イスラエルの存在を認めないアラブ連合(エジプト、サウジアラビア、イラク、トランスヨルダン、シリア、レバノン)がイスラエルに侵攻を始めました(第一次中東戦争)。結果、イスラエルは国連分割案より多くの土地と西エルサレムを領土に組み込むこととなります。その際、ガザはエジプトが、西岸地区と東エルサレムはヨルダンが実効支配することとなります。

パレスチナの見解:戦端を開いたのはイスラエルであり、アラブ連合はそれを阻止する形で戦った。彼らはアラブ人の家屋を襲い、民衆を追い出し、アラブ人の財産を接収した。この戦争はイスラエルによる侵略であり、アラブ人にとっての大災厄(ナクバ)である。

イスラエルの見解:アラブ連合が襲ってくる情報は掴んでいたので、建国セレモニーを簡略にし、我らは戦いに備えた。アラブ人はイスラエルを地上から抹消するために進軍を重ねたが、他に行き場のないユダヤ人は背水の陣を敷き、彼らを撤退させるに至った。パレスチナ難民は、アラブ連合が避難を呼びかけたために、故郷を失ったのだ。これは我らの独立戦争であり、難民の起因はアラブにある。



<繰り返される戦争、そして和平交渉の難航>

中東戦争は四度繰り返され、ガザ侵攻も含めると今でも争いが続いていると言えます。パレスチナ側の代表はレバノンからパレスチナ解放機構(PLO)へと移ります。1993年にパレスチナ国家建設に向けたオスロ合意が、イスラエルとPLOの間で結ばれ、イスラエル軍と入植地はガザから撤収します。しかし、その後、和平交渉はうまく進んでいないのが現状です。西岸地区の入植地、エルサレムの帰属、難民問題と相容れない部分が原因のひとつです。PLOの中で、穏健派のファタハに対して、過激派ハマスが武力蜂起を起こし、2007年にガザはハマスの支配下に入ります。ハマスはイスラエル撲滅とパレスチナ解放を掲げており、今でもガザから投石、火炎瓶、ミサイルがイスラエルの兵士や街に向けられています。また、イスラエルも彼らに銃口を向けることがあり、お互いに憎しみを深めています。


パレスチナの見解:道路や水道を実効支配しているのはイスラエルであり、パレスチナ建国に向けて非協力的である。分離壁の建設によって、人や物資の輸送が大いに妨害され、日常生活もままならない。失業率は50%を超えており、UNRWAの補助金なしには生活が成り立たない。分離壁を撤去して、イスラエルと自由な経済を営ませてほしい。壁がなければ車で5分だった地へも、検問まで回って2時間かかることの不便さを知ってほしい。西岸地区の不法占領、及び、入植地建設も国際法違反であり、イスラエルはパレスチナに対して損害賠償と建国支援をすべきである。そして、国際法違反の入植地拡大を即刻やめるべきである。

イスラエルの見解:ユダヤ過激派によってラビン首相が暗殺されてしまったことに加え、約束だったイスラエルに対するテロ行為の制御をPLOが行わない(もしくはできない)点から、西岸地区撤退をすぐには行えない。アラブ側のテロ行為を止めるためには安全フェンスは必要措置であり、事実、フェンス建設後に年間テロ犠牲者数は400超から4人と100分の1に減少したので、フェンスはイスラエル国民生存のために必須である。そもそもパレスチナという国は建国以前から存在しておらず、現在、パレスチナ自治政府は主権国家と呼べない存在のため国際法の占領には当たらない。



<表に出てこない双方の黒い部分や矛盾点>

パレスチナ側:パレスチナ自治政府によるユダヤ人殺しが奨励され、殉教者は祀られ慶弔金がでる。ガザの国境付近では投石、火炎瓶、風上でタイヤを燃やす嫌がらせが日常的に行われている。また2000年の第二次インティファーダ(和平難航の決定打)以降、パレスチナ自治政府がハマスやイスラム過激派の収監者を釈放し始めている。UNRWAからの義捐金はパレスチナ難民に使われず、自治政府幹部が豪奢な暮らしをしている現実。国家建設によって、UNHCR補助の削減、難民の教育や、インフラ整備など国家としての責任を全て負うことになるため、自治政府幹部にとっては、現状維持が都合が良い。パレスチナが建国された後に国籍をイスラエルからパレスチナに移すと回答したパレスチナ人は2割にも満たない。1948年以前、パレスチナ地域は国家の体をなしていなかったため、時代と共に「パレスチナの土地が略奪された」という表現は作り話。土地を奪うため戦端を開き、逆襲されたら「土地を盗られた」と述べる矛盾。

イスラエル側:イスラエル・ロビー団体がアメリカ政治に大きな影響力を持っている(俗にいうユダヤ陰謀論のモデル)。アメリカからイスラエルには毎年30億ドル超の無償資金支援が行われている。イスラエル政府によるパレスチナ住民の土地接収(不在者財産・遺棄地)と、違法建築としての既存住居破壊が、東エルサレムを中心に行われている。そして、第二次インティファーダ以降、税制優遇等による西岸地区の入植地拡大政策が止まらない。安全フェンスは、イスラエル国内における、パレスチナ人口比率が高まることへの懸念として物理的区画をする上でも重要である。国内のアラブ人は"イスラエルのアラブ人"という二級市民の扱いは拭えず、ドルーズ人やサマリア人といった少数民族の過小評価が民主主義のユダヤ国家という屋台骨を揺らがせている。


以上、客観的に双方の意見を記載しました。どちらに理があり、非があるのかは読者の判断に委ねます。また、本来はこんなに愉快な中東人であるイスラエルとパレスチナの人々が、手を取り合って笑顔になれる日を願います。

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