「法律の範囲なら何をしても良い」という考え

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

自戒の言葉

「人が見ていずとも、お天道があなたを見ている」というのは祖父母世代によく言われた自分を戒める言葉。人が見ていないところで行う善行こそが、真の徳を生むという日本伝統の考え方です。また、日本人が礼節を保つ人種というのはこういったところから生まれた考え方です。


自分本位の傾向

近頃は、「法に違反してなければ何をしても良い」という考え方がはびこり、「バレなければいい」という卑屈な考え方も散見される世の中になりました。人の心の貧しさは、国の貧しさが体現されているのです。

もちろん、個々の心の持ちようで、それに染まらない人も沢山います。ですが、根本的に資本主義は使役される労働者に対して寛容なシステムではないので、このままいけば、この悪循環から簡単に抜け出すことはできないでしょう。


法律は絶対か

法律というもの自体、人の手で作ったものである限り絶対ではありません。日本はそもそも悪人を徹底的に罰するよりも、ある程度の逃げ道を残した調和を得意とする民族です。つまり、杓子定規に法律の文面に縛られるのではなく、解釈を信頼できる執行人の手に委ねるシステムの方がこの国ではうまくいくのです。

これも「法律」という魔物に従順であるが故の悲しい事例です。時速194kmの速度で走行した運転手に危険運転致死罪ではなく「過失」運転致死罪が適用されました。こうした現実にそぐわない事例が善人を不幸にするのです。


法律のグレー部分の怖さ

蛇足ですが、日本の法律は違反状態を看過している事例が多くあります。

・駐停車禁止道路での休憩

・時速40km規制道路での50km走行

・個室付き浴場というなの売春施設

・政治家への献金
これらははっきり言って、皆が分かっていることです。ですが、取り締まらない。それが日本の慣習なら良いのでしょうが、問題なのは、為政者が取り締まりたい時にいつでも取り締まれる状態が維持されている、ということです。
要は、東京地検が面白く思わない人物なら、すぐにスケープゴートとして罪人に祭り上げられるのです。それが大切なビジネスや政治の時期に勾留されたらどうなるか、賢明な読者の方なら意味がお分かりかと思います。


現在の日本の法律は、国民に理解されることを目的としておらず、「日本」というシステムを動かす人間たちを守るための道具として使われています。法律の文言が難しく書かれているのも、バカには分からないようにするためなのです。

この国の目指す未来にはどのような大義があるのでしょうか。

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