豪華客船タイタニック号沈没の背景

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

久しぶりに名画『タイタニック』を観たので、少しタイタニックのお話でもしようかと思います。

映画の公開により、知らない人がいないほど有名になった豪華客船タイタニック。
不沈船とまで謳われたこの船は、1912年4月14日に乗員乗客1518名を道連れとして、死出の旅路を歩むことになりました。

4月10日にイギリスのサウサンプトン港を出港したタイタニックの乗客は満員だったと言われています。
その理由は、尋常でない前評判が立っていたこの船の処女航海に誰もが乗りたがっていたからです。
ニューヨークへ向けて北大西洋を回ったのが4月14日の深夜、北大西洋を最速で横断した船舶に与えられるブルーリボン賞の獲得を目指して最大船速で航海していました。
周辺の船舶からは既に氷山発見の警告が入っている中で、それらを意に介さずタイタニックは進みます。
深夜ですので氷山の発見は遅れ、旋回するも90mも船体を損傷することになります。
見張り台の監視員が双眼鏡を使用していなかったこと、船体を構成する金属が極寒の中では非常に脆い強度と化してしまうことも原因となりました。
各区画に設置された防水障壁を躍り越えた海水が船体を一方から海に引きずり込み、海上に一本立ちした他方の船体が重みに耐えかねて船体全体を真っ二つに裂いたとのことです。 
乗員乗客が2224人がいる中で、見目麗しくないとの理由で救命ボートは半分の人数が乗れる数しか搭載されておらず、混乱の中で、705人しか救命ボートに乗れませんでした。
数々の人為的な原因が重なり、豪華客船タイタニックは処女航海4日目にして、海に沈むこととなってしまいました。

小話ですが、映画の中で、沈みゆく中で最後まで演奏を続けた楽団の方々は実在したそうです。

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