女性の社会進出と少子化の関係
夜間の英語学校に通っていると、私以外の12人の生徒が全員が女性、かつ11人が高校生でした。彼女たちの英語能力の高さにも驚きましたが、高校生ながら海外への進学を志して勉強する子どもたちが多く存在することに非常に嬉しく思いました。国連機関では日本人の活躍を非常に期待しており、また、現在の国際活動に従事する日本人は女性が多くを占めるというデータもうなづけるものです。ところが、女性が社会進出を目指すと、少なくとも大学卒業後には23歳、博士課程修了時には27歳になり、結婚と出産の適齢期を逃してしまうという問題が発生します。事実、先進国で女性の社会進出が進んでいる国ほど出生率が低くなるという統計がでています。(下図参照)
女性が働きやすい社会と現実
女性の職場での存在は男性のみの職場をより良い雰囲気にすることで知られています。そこを曲解して、日本企業ではお茶くみ要員として女性を長らく配置してきました。雇用機会均等法を経て、今でこそ採用は男女の数が近しくなっていますが、優秀な女性の多くは海外を選択する傾向にあります。女性が日本企業に求めているのは、①昇進昇給の完全な男女平等 ②産休育休の充実 この二点に集約されます。応酬話法、営業能力においては女性の方が男性より良い成績を収める、と評価する企業もあります。北欧を中心に女性が政治の主導的地位を占める割合は年々増加しており、女性が男性よりも劣っているという考え方はもはや時代錯誤です。
しかし、変化を嫌う日本企業、官僚はなかなか改革への舵取りをきることができていません。「女は結婚してやめるもの」と発言する男性が、経営陣に存在しているとなおのこと改革が進められません。拍車をかけるのは、女性が結婚を期に休職して、産休育休を取れるだけとってから退社するなど、男性優位の意見を助長する振舞いをしてしまう方も少なくないことです。必ずしも頑固おやじが、改革を止めているわけではないのです。
女性労働者の年齢統計をまとめたM字曲線というものがあります。日本は女性が育児担当をすることが多いため、出産時期の30歳前後で女性労働人口が減り、子どもが大きくなった頃にパートなど賃金の安い労働市場に入るというのが特徴です。働きたくても元の職場に戻れない、妊娠を期にマタニティハラスメントによって辞職に追い込まれた、という女性に対する偏見も未だに多く見られます。
出産と子育てをしながら働くために
出産を前提にした社会を作ることが大前提です。なぜなら、出産とは非常に崇高なものであり、子を育てる母親とは生命活動の中で最も尊重されるべきものだからです(怪しい宗教っぽい言い方ですが、これは事実)。子どものいない国に未来はなく、妊婦を労われない社会には衰退しかないのです。公園の児童の声に苦情を入れたり、ベビーカーを押す母親に悪態をついたり、妊婦に電車内で嫌がらせをするなどの、不寛容な行為を見つけたら毅然とした態度で止めるよう声をあげてください。
また、10代の母親に対して、日本社会の目は冷たいものです。「子どもが子どもを育てるな」「子育ては親の責任」と文句を言うのは易しいですが、大きな視野でみると子どもは社会の宝であり、周りが助け合って育てるという考え方を生むことはできないものでしょうか。かつてあった地域での助け合いは消え、自己責任論を押し付けられる現在の首都圏で子育てをする母親たちは相談する場もなく苦しんでいます。そもそも子どもは母親一人で育てられるものではありません。祖父母、兄弟、近所と多くの社会共同体で育てるものです。子どもを育てている世帯が減ったことで、子育てを理解する人が減って、より子育て人口が減っていくという負のスパイラルは避けたいものです。
企業が子育て支援に出来ることは、上記にあげた産休育休制度の充実と、保育設備の併設です。そして、産後にまた職場にスムーズに戻れるよう、休職中でもコミュニケーションを絶やさないことです。零細企業に難しければ企業連合で行ってもよいでしょう。もちろん簡単なことではありません。しかし、今の現状を変えるためには一人ひとりができることから変えていくしかないのです。
子育てに女性を縛ってはならない
出産は女性にしかできないものですが、そのために女性の社会進出の機会を奪うことはあってはなりません。女性の存在は、子どもにとっては包容力ある母、社会にあっては思いやりの象徴と、その役割は非常に大きいものがあります。子どもを育てる女性がより存在感を示すことができるようにすることが、少子化を解消するために私たちが取り組まなければならない第一条件ではないでしょうか。
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