ウイグル問題からみるメディアの中立性

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

ウイグル問題が再び表沙汰になってきました

1949年から70年経っているのに、米国との衝突でまた報道熱が入るあたりは、日本のメディアらしいところですが、今回の論点は違います


正義は人の数だけ存在する

昨今の日本はとかく「弱者」を救おうとする論調になりがちです。

フェミニズムの台頭も影響してか、強者や権力を悪とする風潮が非常に強いです。

そして、海外のこうした迫害報道では全てのメディアが被害者に寄り添った報道をします。

それはロヒンギャ虐殺問題、パレスチナ難民問題と合わせて、冷静な目で見る必要があります。

なぜなら、盗人にも三分の理があるからです。
(ロヒンギャ問題を以前調べた際に、私も被害者寄りの文章を書いてしまいました)

このウイグルの一連に関しては、加害者側に正義があるとは全く思えませんが。


最近では高速道路上でレンタルしたSUV車の男性が、被害者男性の顔面を殴打して逮捕された事件がありました。

あの事件は加害者がアホ過ぎるのはもちろんですが、被害者側は一切悪くないのでしょうか?

①事前の注意の仕方
加害者をSAかPAで注意したことが引き金ですが、穏便な対応をしていたのか

②なぜ窓を全開にしたのか
危険な相手と分かっている相手に無防備な自分を晒す行為は賢いとはいえません
また、その際の喧騒の中でも、護身できる態勢を作っておくべきでした

一連の流れをみる度に90%以上加害者側に責任があるのは明らかですが、被害者に過失が全くなかったとは言えないわけです。
決定打を打った方が悪質、という安直な判断は難しい問題であればあるほど避けるべきです

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