守破離とは
これは師範から教わる徒弟の心構えを説いたものです。
守=師の教えを遵守し、体に覚え込ませる時期
破=師の教えの殻を破り、独自の工夫を加える時期
離=悟りを開き、己の境地に達する時期
分かりやすい例えで言うと、初級~三段程度までが守、四段~六段くらいが破、七段以上が離の時期と言えるでしょう。
型破りな人間とは
守の時期、素地を作る修業期間を経て、師範から授かった型から飛び出すのが型破りの本当の意味と私は考えます。
つまりは対象の基本を学ばずして、型の意味を知らずして、元来の慣習を否定してはただの大馬鹿者であり、権威のある方々には歯牙にもかけられないでしょう。
「型」の存在意義を否定できるほどの研鑽を積んだ人間が、破るべきだと考えるからこそ型破りには意味があるのです。
勘違いをする傾奇者
「人と違うことがかっこいい」「自分にしかできないことがある」こうした言葉が日本の若年層の間で流行っています。
既成の慣習に捉われずに、若者の価値観をぶつけたいという気持ちは買いますが、短絡的に考えている方が多いことに警鐘を鳴らします。
ただただ、権威に逆らって己を守るだけでは何も成長できませんし、チンピラ紛いの反発ばかりする奇天烈な行いをしてはただの傾奇者です。
奇抜なファッションで目を惹いたり、色っぽい写真をInstagramにあげて反響を喜んだり、バカな行為をtwitterにあげてみたり、これらの行為は中身のない人間、薄っぺらい人間であることを主張するに等しいです。
世のエグゼクティブには若年から才覚を発揮する人間がいますが、経歴を辿ってみると、彼らはハーバードビジネススクール卒だったり、起業経験があったりと自分たちなりの守の時期、苦労の時期を経験していることを忘れてはなりません。
一番成長するのは素直な人間
仕事以外に、武芸や教養の面も含めて感じることは、師の教えを素直に受け容れられるかどうかが成長の鍵であると断言します。
新社会人の例を出すと、学生時代に自分なりの実績を積み重ねて築き上げた自信が社会では全く通用しない、無能に感じる上司から指図されるのが気に入らない、という意見をよくききます。
凝り固まったプライドと自分の考え方とを一度解体する勇気を持ってください。
新しい器に入るためには一度柔らかくなる必要があるのです。
それをかっこ悪いと思う人もいることでしょうが、己の価値観や信念だけを胸に抱いて変化することはそれほど難しくはありません。
あなたの軸となる価値観は、あなたを作る大切な構成要素です。
仕事だからと、何でも受け容れるではなく、考え方を変えるのです。
自分を曲げすぎて心を壊す方もいるので、その匙加減は簡単ではありませんが、そこを踏破出来れば、必ず掴めるものがあります。
型を破るのはそれからでよいのです。
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