指導する側の立場で気づくこと

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

横浜教室を担当して、新しい学期となる年始の初稽古。1人の新規加入と、2人の退会者で合計1人のマイナスとなりました。全員が残ることはないとはわかっていながらも、拾いきれなかったという思いは拭えません。

指導する中で、レベル差がある中でどこまで平均的に指導していくのものか、悩ましいものです。また目を引くような派手な技は生徒が喜ぶものですが、本当に大切なのは地味な基礎稽古であるのは自明の理です。ところが、生徒がそれを行っていない、行おうとしていないのに強制しても、身につかないものです。

自分の稽古もままならない中で、生徒を教えているということはさておいて、現在の自分がおこなうべき指導というものを常に意識せずにはいられません。「武を追求する」というのはある意味独りよがりになってしまいますし、それを探求できるのは至高の武を修めた方々のみなのではないでしょうか。そして、私はまだまだその境地には達していないし、親指一本も入れていないと思います。

指導者、という人種が何を目指せばよいのか。私にはまだまだ答えがだせません。

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