"話せば分かる"という幻想

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

日本人はよく言う

「話せば分かる」「お互いが納得しなくてはいけない」「強引はよくない」

簡単に言うと、穏便に、争わずに、合意にこぎつけたいという潜在意識が見え隠れする考え方である


こうした考え方は、戦後の牙を抜かれた日本教育で声高に叫ばれるようになった

"敗戦"という事実が日本に「争うことは悪である」という印象を決定づけたのだろう

同じ村社会の中では一定の共通認識があるので話せば分かる部分はあるだろう

それが日本民族全体となると難しいものとなり、ましてグローバル社会に広がった時には全くの絵空事となる

本気で話せばなんでも解決できると思っているのは、日本の中の狭い社会しかしらない愚か者であり、諸外国とのビジネスや歴史問題にその甘い考えを持ち込むのは非常に危険である

そして、幻想の中で育てられた子供たちは、現実がそんなに生易しいものでないことを知った時にギャップに苦しんでしまうのである


「やられたらやり返す」「自己防衛のための反撃は許される」というのは世界の常識であり、生物として至極当然である

日本は幸い自衛隊という組織を抱えてはいるが未だに制限は非常に多い

非暴力・無武力で国が守れると考えている人間がいるのは遺憾なことであり、そうした抵抗せずに友好を示した国々が歴史上、どういう扱いを受け滅んでいったのかを学ぶべきである

日本教育はもっと現実に沿ったものへと改善される必要がある

仲良しこよしは大いに結構なことであるが、仲良くなるために必要な力、自分の存在を守るための力の行使というものが存在することを、社会が認めるべきである

力を用いない平和という夢物語でみんなが幸せになれるなどと教えている異常な事態を、日本の大人が自覚しなくてはならない



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