終戦の日を経て

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

大東亜戦争を扱うメディアが本当に少なくなった。
『火垂るの墓』『うしろの正面だあれ』といった、戦争を教育する映画もテレビで流れることがなくなった。

それよりも問題なのは
・アメリカ軍の蛮行を報道するメディアが全くないこと
・戦争否定ではなく、旧日本帝国軍の否定をするばかりであること

例をあげると沖縄戦争では、旧日本軍が民間人へ自殺を強要し、戦争協力をさせたことなどは報道しても、アメリカ軍が行った降伏者射殺、民間人強姦、防空壕での兵士民間を問わない火炎放射器での虐殺は報道されない。


旧日本軍の戦略での誤りや、敵地民間人への被害もあったであろう。
但し、占領地に帝国大学を作り、教育を施した日本と、植民地から収奪しか行わない欧米諸国は同列で語るレベルではない。もちろん、特定の民族を抹殺するために、収容所を作ったりもしない。

ドイツと日本は戦争犯罪という点で全く同列ではない。

そして、戦勝国の戦争犯罪は完全に隠蔽されている。便衣兵がいるわけでもない、完全な民間地域に対して原爆を二発打ち込み、空襲を行い続けたアメリカの行いに焦点を当てるメディアはいない。


語るべき部分を語らず、ひたすら日本人の歴史を否定し、日本国民に敗北感と劣等感だけを植え付けようとするメディア、外国の尖兵に陥っているメディアには辟易する。

そして、それを鵜呑みにして、偽りの平和に浸ろうとする日本人にも失望する。


過去の日本人の行いを否定することは誰にでも出来る。未来と言う高みから、断罪するのはさぞかし気持ちよいだろう。だが、80年前と同じ状況になった時に現代人がそれ以上のことができるのだろうか。現代の日本人より遥かに思慮深かった80年前の人々以上のことが。


戦争を否定するのは大いに結構だ。
過去の日本人を否定するのは愚かしい。

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