社会人大学院に通うことの意味

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。


多くの書物を読んでいて思うのは、本に書かれたことは「既に止まっている学問」であるということ。先人の叡智の結晶を軽んじるつもりはないが、誰かの研究成果を眺め続けていては、本当にその分野を学んでいることにはならないのではないか。つまり、インプットするだけではなく、自分で考えて研究するというアウトプットをしてこそ、学ぶ意味があるのではないだろうか。


私が学びたい分野は文化人類学、特に後継不足で失われつつある日本の伝統工芸を後世に伝承するために、学び続けたいのである。


そこで、今の私が出した答えは、大学院に入り、研究をすること。だがしかし、問題は働きながらどのように修士(できれば博士)課程を得ることができるだろうか。社内の説得も難しい。だが、箔をつけるなんてダサい理由ではなく、自分で新たな知見を切り開く意義として研究の世界に入りたい。

そこで、今の候補を備忘録として貼っておく。

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