人間が歯車になる日

Kazuma Muroi

Shalom Homesの代表取締役。NPO法人横浜市まちづくりセンターの理事。執筆テーマは古武術・子育て・民俗学・宗教学。

機械みたいな人間だらけ


朝の満員電車に乗るために駅で待っている時にふとそんな思いが頭をかすめました

ごった返す駅では皆流れるように人とぶつからぬ様に器用に動きます
電車の中ではパーソナルスペース確保に努め思いやりなど皆無です
足を踏んでもぶつかっても謝りません
電車に乗った瞬間に周りを眺めると、スマホの画面を注視する人だらけの均質した空間が広がります
知らない人同士の会話はまずあり得ません

人々の日常が固定化され、感動がなくなったからこのような人が増えたのでしょうか
それとも、単純に今の社会がこういう人を求めているのでしょうか

たかだか朝の一場面に過ぎません
仕事後には笑顔を取り戻す人も沢山いることでしょう
大人になるとは無機質になることと同義ではないはずなのに、何かやるせない思いが膨らむばかりです

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